Tuesday, April 26, 2005

what's goin' on?

謎である。
なぜ、知らないうちに1つ前のBlogが消えたのだろう?
なぜ、知らないうちにデザインが変わったのだろう?
どちらも私は手を下していない。知らないうちに起きたことだ。どうもリセットボタンを押したごとくキレイに消えてしまった。と言っても、2つ前以前のBlogだけは何故か残っていた。逆に何故消えなかったのかが不思議だが、まあいいや。自分の作品が消されちゃ、たまったもんじゃない。「ひさびさの」で消えたのは映画の話と風邪の話だ。大した話ではないから許そう。

今日のクラスディスカッションでもBlogが話題に出た。#1 amendment(合衆国憲法修正第一条)で言論・表現の自由が保障されているから、Blogでは自由なことを書く権利がある。

たとえば著名な政治家と酒の席で出会ったとする。プライベートの席で酒が入っていたこともあり、政治家は口をすべらせてしまった。さて、自分が何かの媒体を持っていたらどうする?その話を書くか、書かないか?

新聞社の記者だった場合「書きにくい」か「書けない」可能性がある。自社の新聞に書いても、それがEditorの手で消されたり変えられたりする可能性がある。新聞社は信用第一だ。看板やブランド守る力も当然作用し、核心にせまる「スクープ!」のようなものも、なかなか書きにくいだろう。またEditorが編集するから、取材記者の生の声が届かないこともあるだろう。

反面Blogでは「書きにくい」ことはあっても、まあ「書ける」だろう。書ける書けないという話になると、それは著者個人の立場による。例えば私がここで「スクープ!」と書いたところで、話の信憑性を疑う人のほうが多いだろう。しかし著名なジャーナリストだったら?今後の取材がしにくくなったり、自分の築いた地位を守ったり、立場次第ではBlogでも「書きたいが書きにくい」ことがあろう。

新聞とBlog。全く違う媒体に見えるが「立場を守る」という意味ではどちらも同じだ。1人でも読者のある書きものは、信用あってのものだ。個人の見解は「個人の見解」とした上で書くべきだろう。結果として事実と違うことを書くことはあるかも知れないけれど、完璧な人はいないから、ある程度仕方ないと思う。そして、嘘をもっともらしく書いちゃいけませんな。表現の自由があるとはいえ、やはり風評被害があっちゃまずい。書き手も自分の文章に責任を持たなきゃいかんなと思います。

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