Sunday, August 07, 2005

反省、そして人生とは…

NYはたのしい。住んでいるだけで、たのしい街だ。しかし同時に、何か恐ろしさも感じる。うまく説明できないのだが、この街はアディクティブなのだ。ときどき、この街に溺れてしまいそうな感覚に襲われる。

最近のことだが、今の自分の目標ーーキャリアビルディングの最中であり、仕事から学び、学んだものを次の仕事に活かしながらさらにその「次のステップ」に備えるーーを忘れかけていた自分を思い知らされる出来事があった。

この街に来て2ヶ月、インターンを始めて2ヶ月。仕事(勉強)に邁進していたつもりだったのが、いつの間にやら気が弛んで、ほかの楽しいことに気を取られて…という状態だった。NYにいることに浮かれ踊っていたーーその魔力に溺れていたーーとも言えるだろう。自分が学生の延長であることを、忘れかけていた。今、このタイミングで、それを思い出すことができて本当によかった。危なかった。

宣言:8月は仕事に邁進します。(もう7日ですが)。

ここで何かひとひねり話にスパイスを加えたいのだが、今日はそれが思いつかんなぁ。あまり仕事に邁進することとは関係ないが、先日家族との会話で出た話だが、人生は「わんこそば」みたいなもんだ、というのを今日の落ちにしよう。

人間生きていると、いろんな問題に直面する。楽しいことも、苦しいことも、次々わんこそばのように自分というお椀に入ってくる。それをおいしくてもマズくても、食べ続けるのが人生ってもんじゃないかなと。

仕事もそうだ。1つ大きなプロジェクトが終わったら、また次が来る。1つペーパーを書いたら、また次のテーマがある。like it or not, これが定年まで、もしくは仕事を辞めるまで、ずっと続くのだ。

結婚したら、日々の生活の中で色々な問題が「わんこそば」のように次々出てくるだろう。それを何とか「食べて先に進む」必要があるが、一緒に向かい合って食べれば、まずくても、おなか一杯でも、何となく食べられちゃったりするのだろう。

マズイ一杯を食べたら、次のバッチはおいしいか?というと、それは食べるまで分からない。しかし「そばがお椀に入らなくなったとき」というのは、人間が死んだときだろう。

人間とは、死ぬまで「わんこそば」に挑む生き物である。ちっとも偉そうに聞こえないが(わんこそば屋さん、ごめんなさい)私はそう考える。

Wednesday, August 03, 2005

ALL THAT JAZZ

先日、土曜日のことだ。最近ジャズづいているのだが、またもやジャズを聞きに行ってきた。今回の行先はジャズスタンダード。グラマシーにある古いジャズクラブ。1階はBBQレストランで、ジャズは地下。

ピアノがリーダーで、サックス、トランペット、ドラム、コントラバスの5人のバンド。先日見たCount Basieオーケストラとは人数が全然違うが、今回は少人数であるだけ、近くで演奏を楽しめる。トランペットにもサックスにも、どのミュージシャンにも味があるのだが、リーダーのピアノが一番味があった。

しかしこのリーダー、かなりいい年の大御所だったのだが、非常に芸が細かい。彼は演奏の合間にトークを入れるのだが、それも単なる曲の紹介だけではなく、聞き手を笑わせるジョークを盛り込んだり、場の雰囲気を読んでトークしている。それが、非常に素晴らしかった。流石はベテラン、という感じである。

NYにいるうちに、ジャズとミュージカルはできる限りたくさん見に行きたいと思っている。先日ジャズのガイドブックを買ってみたのだが、帰国までに、その本にいくつ制覇した印が付けられるだろう。