Saturday, July 30, 2005

there is no accounting for tastes

先日のランチタイム時の会話で盛り上がった話から。
食べ物に関する究極の選択です。あなたは、どちらを選びますか?

①牛タンか、イナゴの佃煮か
②イモムシか、ゴリラのステーキか

①は明らかに牛タンを選ぶ人が多いと思うが、②はどうだろうか。私は迷わずゴリラだが、意見が分かれるところなのだろうか。

この話の発端は、やけどや怪我で顔に大きな傷がある人の治療のために、死者の顔の表面を剥がして、そっくりそのまま移植する治療法を開発した医者の話だった。それに対し、沖縄ではブタの顔(の表面?)をそのまま肉屋の店頭に置いているし…という反応が出た。

Kさん(引きつった顔で)「え?それ、食べるの?」

Nさん「ええ。だってミミガーとか、食べるじゃないですか」

お肉の嫌いなKさんは信じられないと絶句。Kさんは「海のもの」は大丈夫だそうだが、お肉が全くダメらしい。Kさんはブタの鼻やら耳やら、色々なものを挙げて「あなた、これは食べられる?」と聞くのだが、Nさんと私は食の嗜好が似ているのか、殆ど全部YESの回答。

ひとつ疑問が湧いた。

私「でも、しらすとか煮干しとか、ああいう小魚ってアタマからシッポから目玉から、全身全部食べちゃうじゃないですか?まぁ、魚に鼻や耳はないけれど。」

そこでKさんから衝撃の発言。「生物の進化の過程で、人間に近いものの方が、食べるのに気持ち悪い。」と。

それを聞いて、じゃあ虫は?という話になり、上記の究極の選択肢が出てきたわけである。

しかし、冷静に考えると、私にとっては人間から遠いもののほうが気持ち悪い気がする。昆虫とか、両生類、は虫類… 想像しただけで気が遠くなりそうだ。

しかしお肉の嫌いなKさんは、先ほどの究極の選択の牛タンorイナゴは、迷わずイナゴなんだそうだ。私なら、「牛タンは有料だが、イナゴは食べたらお金をあげます。どっちにしますか?」と聞かれたとしても、お金を払って牛タンを食べるだろう。

私は昆虫が非常に苦手である。生きていても死んでいても、見るのも食べるのも何でもとにかく全てダメである。ゴリラorイモムシも、迷わずゴリラだ。しかしKさんのチョイスはイモムシらしい。

こういうのを、蓼食う虫も好き好きというんですね。昔英語の時間に、英語のことわざを習ったときに、これが出てきたのだが、あまりピンと来なかった。しかし牛タンorイナゴの一件で、よーくその意味を理解することができた。

Saturday, July 23, 2005

シンデレラ、「ご」と格闘する

今朝のことである。世界中で最も会いたくない方に、キッチンで遭遇してしまった。

その名は「ご」。分かりますね?地球上の誰よりも長生きで、嫌われ者のアイツ。お名前は「り」で終わります。…ギャァァァー。やっぱり出たかぁぁぁー。これが私が一人暮らしを恐れていた理由である。

石のように固まった私は身動きが取れず、とっさに手に届いた洗濯用スプレーのりを噴射。攻撃を試みたものの、たくましく氷河期を生き延びた奴は平気のへーざ。冷蔵庫の奥に逃げ込んで以来出てこなかった。

完全にやっつけるために、今日は遅刻しようかと3分くらい本気で考えたが、やっぱりそうもいかない。ゆっくり戦っている暇もないので、仕方なく「ご」を残したまま会社へ。

そして夕方帰宅。殺虫剤をドアの上下にスプレーしてから、カギを開けて入った。入って来るなと念じつつ、内側からもドアの上下にスプレー。

そして問題のキッチン。ガス台の下、冷蔵庫の下。殺虫剤をスプレーしてみたものの、奴は出てこない。チラチラと抜き打ち的にキッチンの床を見るものの、奴は現れない。まるで「ご」と一緒に「だるまさんが転んだ」で遊んでいるような状態だが、ちっとも楽しくないのが子供の頃の遊びとの大きな違いである。

いい加減「だるまさんが転んだ」にも疲れたので、まあ忘れて普通にしよう、と思ったそのときである。キッチンとリビングの境界線あたりで、危うくすべって引っくり返りそうになった。そうです、朝、スプレーのりを床にまき散らしたことを、すっかり忘れておりました。乾いて固まったスプレーのりは、ワックスも驚くほどの効果。すべりの良い輝かしい床になっていたのでした。

このアパートは私のお城だというくらいの気持ちでいたのだが、現実はやっぱりボロアパートだったか。私もこのお城に住む「プリンセス」の筈であるが、実態は「ご」と格闘して床でズッコケ、トイレのタンクを修理し、風呂掃除をしようとして蛇口をひねったら、頭上から勢い良く吹き出すシャワーでずぶ濡れになったり、スットコドッコイな生活である。

確かにあのシンデレラのお話でも、シンデレラは普段は下働きをしていて、馬車はカボチャとネズミだった。現実ってこんなもんなんでしょうね。

Thursday, July 21, 2005

味覚をみがく

先日、新しい友達(フランス人)とワインを飲む機会があった。フランス人とワインを飲むというのは、生まれて初めての経験だ。

しかし不思議なことに、友達Fの感じる味覚と、私の感じる味覚は、最後までことごとく逆だった。2つのワインを比べてどちらがシャープか、どちらが香りが強いか…など、最後まで見事に意見は合わなかった。

私はあるワインについて、穀物のような匂いがすると思って「Grainの匂いがする」と言ってみた。しかしFは私が「雨(Rain)の匂いがする」と言ったと勘違いし、「詩人のようだ」と感心されてしまった。あわてて否定したものの、今思えばこれは否定しないほうが格好良かった。雨の香りのするワインって、どんなもんだろう。

結局Fと私のワインの味比べは、どちらが正しかったのだろうか? まあお互いにワインを楽しめたし、どっちでもいいか。

Monday, July 18, 2005

ニューヨーカー2ヶ月

気づけば「なんちゃってニューヨーカー」になって2ヶ月が経過。いやいや、毎日が楽しくて仕方ない。仕事にも少しずつ慣れ、ペースが作れるようになってきたからだろう。

だんだん「なじみの顔」も増えてきた。

ess-a-bagelのおじさんは日曜日に訪ねると笑顔でWelcome Back, Beauty!と声をかけてくれる。Beautyの部分はお世辞としても、顔なじみとして覚えていてくれることが嬉しい。

アパートの管理人のFはホンジュラス出身。最初は彼のスパングリッシュが全く理解できず、彼も私のジャパングリッシュが全く理解できず、単語レベルでしか会話ができなかった。しかしお互い今は普通に会話ができるようになった。慣れとはまさにこのことだ。

ランドローマット(「コインランドリー」というのは日本語英語です)のおじさんはいつもTシャツに短パンで通りをウロウロ、客に愛想良く声をかけている。そのほかの従業員は英語が話せないのか、店の奥で作業をしている。数あるランドローマットの中でも割安で、なおかつ清潔なのが、このおじさんの店のポイントである。

いつもアパートの前にたむろしている太っちょのおじさん2人組は、最初は何をしているか分からないし、いつもブラブラしているので(ごめん)不気味だと思っていた。でも人懐っこいおじさんたちで、顔を見るとHello!と必ず声をかけてくれる人たちでもあり、徐々に警戒心はゆるんでいった。今でも彼らが何をしているのかは分からないが、悪い人ではなさそうだ。彼らがドアマンになってくれりゃーいいのにな。

こうやって少しずつ自分の足跡が街に刻まれていく。私が今、確かにニューヨークに生きているという証であるし嬉しいものだ。消えるときはアッと言う間に儚く消えてしまうかもしれない。でも振り返って見える足跡に、嬉しくてついニンマリしてしまうのです。

Monday, July 11, 2005

傘紛失

相当久しぶりのブログです。しばらくサボっていました…。

アメリカにはおしゃれな傘がない。黒い無地の「コウモリ傘」か、ゴルフのときに使うような巨大なものか、究極の選択を迫られる。というわけで日本より折りたたみ傘を送ったり持ってきてもらったりして使っていた。さすがやっぱり日本よねー。と大事にしていたところなのだが…

ついに紛失。これまで傘は失くしたことがないのが自慢だったのに(!)失くしちゃった。あーあ、金曜の晩のタクシーの中である。気づいたときには既に時遅し。

あれは使いたくないと思っていたが、ついにゴルフ傘を買うときが来たか…。

Thursday, July 07, 2005

独立記念日の花火 in 2005 その2

我々4人はピクニック気分で屋上に上がり、花火見物の準備は万端。と言っても我が家は6階建て。というか今日まで私は自分のアパートは5階建てだと思っていたので実は1階高かったわけだが、5階でも6階でも見えないものは見えない。周囲のビルに阻まれ、全く見えそうもないじゃない。確かに屋上には我々以外誰もいない。

9時をまわって花火が上がりはじめた。確かに音は良く聞こえる。が肝心の花火は、高く上がったものが上半分見える程度。あーあ、と思っていたら、お隣のビルの窓に反射して花火の全景が映っているのを発見。まあけっこういいじゃない。

しばらく窓に映る花火を見ているうちに気づいたのだが、ビルの谷間から、ロウアーマンハッタンから上がる花火も実は少しだけ見えていたのだ。おー、2箇所の花火がちょっとずつ見えるとは。考えようによっては贅沢である。

しかし音だけの花火っていうのも、けっこう想像力をかき立てられるものだ。形や色を心のキャンバスに描きながら見る花火。ずっと続いたら流石につまらないが、5分くらいなら悪くない。屋上で心地よい風に吹かれながら、しばらく光のない花火を感じていた。

花火が終わったところで撤収。宴会の再開である。おいしいワインに、HくんとAちゃんが持って来てくれたおいしいフルーツをいただきながら、三連休の最後を楽しく締めくくることができた。

去年もその前も普通に見ていたけれど、もうきっと来年は見ることはない7月4日の花火。最後の花火見物は過去3回で最も条件が悪く半分しか見えなかったのに、なぜか最も楽しく美しい花火だった。

Tuesday, July 05, 2005

独立記念日の花火 in2005 その1

今年の花火は誰とどこで見ようかなと迷っていた花火。直前までスケジュールがなかなかFIXしなかったが、VAよりTが遊びに来るというので、一緒に観ることにした。

今日は我が家で簡単ディナーをしたあと、イーストリバーまで歩いて…と思って食事の支度をしていたところ、ガールフレンドとNY旅行中のHくんからTelが。Hくんカップルとは前日にコリアンレストランで偶然出会い、腰が抜けるほど驚いたのだが、その後花火をどこに見に行くか?という話をしたところであった。

現在地を聞いてみると、なんと我が家のすぐ近所。急遽うちでごはんを食べてから皆で花火見物をすることに。

しかしHくんカップル、うちからすぐの場所にいるのに、1時間くらい経っても来る気配がない。Tは落ち着かずウロウロとリビングルームを徘徊。なんだか私まで落ち着かない。

Tが我が家の細長いリビングルームを47往復くらいしたところで、やっとHくんカップル登場。やっと食事スタートである。

そして宴もたけなわの8時30分。これからイーストリバーまで歩いて花火を見に行くか、このままワインを飲みながらテレビで見るか。選択を迫られたが、その中間を取って我が家の屋上で見ることにした。ワインとおつまみを持って大移動である。続きはまた明日。